「英語は勉強じゃなくて練習」野球に夢中だった少年がインターンになったきっかけと将来の夢とは。
- 名前
- 年齢・職業
- 期間
- Masahiro Abeさん
- 20代・インターン生
- 12週間
元野球少年が一念発起!世界を目指しセブ島留学へ!!
−−−−−−まず簡単に自己紹介をお願いします。
Masahiroです。20歳です。
6歳の頃からずっと野球をやっていて高校を卒業する時に父親に香港へ連れて行かれ、そこで世界で活躍するビジネスマンの人との出会いや野球以外の生きる道、世界を見てそれが新鮮で面白そうだと思い、英語を勉強しようと思いました。
−−−−−−では留学しようと思ったきっかけは香港でのいろいろな人との出会いだったわけですね?
そうですね。野球に没頭している時は、やるからにはプロを目指そうと思ってやっていましたし、野球が全てだと思っていました。しかし、香港でいろいろなビジネスマンを見て自分の中の世界観や価値観が変わりました。初めはビジネスマンと聞いてもすごいとか思わなかったのですが、香港で出会った方たちは自分のやっていることに生きがいを感じている人しかいなかったし、自分がこれをやることによって誰かに貢献しようとか社会に貢献しようとか、綺麗事に聞こえると思うんですけど、でもそれを本当に行動している人がいて、実際にその結果が出ていてすごくかっこよかったんですよ。
野球で夢を与えるということも僕にとっての大きな目標だったのですが、それよりも大きくて楽しいと思ったものを見つけたということが英語を学ぼうと思ったきっかけです。
−−−−−−留学を決めた時、なぜ欧米ではなくてセブを選んだんですか?
最初の語学力はゼロに等しく、挨拶くらいしか出来なくて、自分が話せる中で一番難しい言葉がGood afternoon だったんじゃないかと思うくらいのレベルでした。その時にいきなりアメリカの英語を入れるのも良いと思ったんですけど、やっぱり一番最初はコミュニケーションを取れるようになることと基礎をしっかりと作ることを目標にしたので、”安く・長く”滞在できるセブが自分にあった留学先だと思い、いろんな選択肢の中からセブを選びました。
−−−−−−Howdyでは何にフォーカスを当てて勉強していましたか?
一番最初に立てた目標が外国人とコミュニケーションを取れるようになろうということでした。僕の場合Howdyへ来る前に別の学校で生徒として3ヶ月間留学してからきたのでHowdyに来てある程度の段階でそれを達成したなと思ったんですよ。そこからネイティブとコミュニケーションを取れるようになろうと目標を変えました。そう思った時にイディオムだとか独特な言い回しやポエムなど、言葉に温かみを持たせたり彩りを加えたような英語を喋ってみたいと思い、後半は特にそういったところに力を入れていました。
−−−−−−実際にセブを選んでみてセブへ行こうという判断はどうでしたか?
よかったですね。インターンの業務の中で実際やってきた英語を使って仕事をしたり、さらに上のレベルの英語を実践レベルで使うことができたというのがセブでの収穫です。
やっぱり英語は勉強じゃなくて練習だと思っているので、そういった意味ではHowdyのインターンというのはダイレクトに実践だったのでマンツーマン授業も受けることができて、仕事で実践として英語も使えてそういった中で覚えられることもすごく多かったです。
また英語だけじゃなくて社会人としてどうあるべきか、プロフェッショナルとしてどうあるべきかなどそういったことを意識しながら働いていたので、一石二鳥だけではなくて一石投げたら5、6匹落ちてきたんじゃないかと思うくらいすべてがプラスでした。
Howdyに関しては上司から色々と学べることもたくさんあったのでそういった方達の横で同じ目線で仕事ができたというのも今後の肥やしになったと思います。
−−−−−−今後の目標を教えてください
2016年中に成し遂げたいことがあって、まず1つ目がTOEFLで500点を取るということ。
そして、もう一ヶ国ネイティブの国に行くことがもう一つの目標です。
もっと長いスパンの目標でいうと、教育をやっていきたいと思ってます。やっぱり長期的に誰かに貢献していけるものというのは教育かなと思うので小学校とか幼稚園などに関連したことをやっていきたいです。
簡単に言うと学校を建てるということかもしれないんですが、物質的に学校を建てるだけだと学校に行けない子供達もいると思うので、全員が質のいい教育を受けられるシステムを作りたいです。そしてそれがどんどん続いていくシステムをいろんな国に英語を使って広げていき、いろんな人に貢献していけたらなと思っています。そして僕が育てた人がまた社会に貢献していけばずっと続いていくと思うのでそれができれば満足ですね。
僕は20年以上かかると思うんですけど、20年後それが形になればいいなと思っています